鮭延(さけのべ)越前(=福井県の北東部)守秀綱(ひでつな)は、最上義光の重臣で俸禄が一万五千石だった。
最上家が滅びてからは流浪していたが、もともと自分の家臣に対し慈愛深い人であったので、二十人もの部下が無禄でも付き従い、皆「我々が乞食をしてでも殿を養いたい」と言っていた。
その後、鮭延秀綱は土井大炊頭(おおいのかみ)利勝に仕え、五千石を与えらえた。すると鮭延秀綱は二十人の家臣に二百五十石ずつ、その五千石すべてを分け与えた。そして自分は、その二十人のところに一日交代で世話になりながら、一生を終えた。
鮭延秀綱が死ぬと二十人の家来は大いに悲しみ、ひとつのお堂を建てた。下総(しもうさ=千葉県の北部および茨城県の一部)の古河城下(=茨城県古河市)にある鮭延(けいえん)寺がそれである。