〜戦国武将エピソード集〜

上杉謙信の度量の大きさ

 徳川家康は使いを出して上杉謙信によしみを通じ、武田信玄を挟み撃ちするように説いた。

 ちょうどそのとき、村上義清(よしきよ)と息子の国清が越後に身を寄せていたので、謙信は強くこれに賛成し、最終的に徳川家康と信玄を挟撃する同盟を結んだ。

 元亀三年(一五七二年)四月、謙信は一万の兵を率いて信州(現在の長野県)に進軍し、火を長沼に放って、遠く離れながらも徳川に助力をした。

 このとき信玄の子、勝頼が伊奈にいたのだが、その危急の知らせを聞いて、ただちに兵八百をもって長沼に向かい、謙信の進撃を防ごうとした。

 この様子を謙信は遠くからみて言った。

「あの者は信州を守ろうと、あえて少ない兵で私と戦おうとしている。信玄の息子として恥じない人物ではないか。私はその勇を成さしめるために、兵を引いて越後に帰るとしよう」

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常山紀談、019