〜戦国武将エピソード集〜

謙信はいくさのときに青竹を持った事

 謙信は背がそんなに高くはなかった。そして左の脚には気腫があったので、歩くときには足を引きずっているように見えたという。

 鎧や兜を身につけることは少なく、黒い木綿の胴服(室町末〜江戸初期、上層武士が羽織として用いた、腰までの短い服【広辞苑】)を着て、鉄で作った小さな車笠(車輪状の頭にかぶる笠)をかぶった。麾(ざい=采配)を手にすることも少なく、青竹を三尺(一尺=約三〇・三センチ)ほどの長さにして、杖のように手にさげて持って、それで兵士を指図した。

 梁(りょう)の※1韋叡(いえい)が竹如意をもって采配した、その遺風(=後世にのこっている故人の教化【広辞苑】)をついだそうだ。

北魏の兵が※2鍾離城に攻めてきたとき、梁は韋叡をもって後詰の援兵を送った。

北魏の将、楊大眼は勇将で数万騎を率いて戦ったが、韋叡は素木(=あら皮を除き、白く削ったままで、何も塗ってない木【広辞苑】)で作った輿に乗り、白角の如意を持って兵を指揮し、北魏軍を撃ち破ったと歴史書には載っている。

※1韋叡

 ウィキペディアの記述に『韋叡は生来体が弱く、戦場でも馬に乗ったことがなく、常に儒服をまとい輿に乗り、竹の如意で軍を指揮した』とある。

※2鍾離

 地名。春秋時代の小国であったが、漢代には県が置かれた。今の安徽省鳳陽県のあたり【学研漢和大字典】

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常山紀談、037