上杉謙信が武田信玄と和平を結ぼうとしたとき、謙信は長遠寺の僧を使いにした。この僧は各地を転々として、教えを説いて回っている人だった。
だから謙信はその僧に、「甲斐(=山梨県)の武将に、向井与左衛門という者はいるか」と訊ねた。
僧が「います」と答えると、謙信は「彼に傷のあとはあるか」と再び訊ねた。
「顔に刀傷があります」と僧は言った。
謙信は、「川中島の戦いで、彼は名乗りをかけてきたのだが、私を後ろから槍で貫こうとしたところを、私は振り返って一太刀浴びせたのだ。いくらなんでも助かるまい。そう思ってずっと経ってしまっていたのだ」と言って、萌黄の胴肩衣に槍の斬り痕が残っているのを取り出して、書簡を添えて、向井に贈った。
この書簡を世間では返り感状という。その書簡の文中には、その川中島のことも書かれていたという。