〜戦国武将エピソード集〜

徳川家康の針崎(はりき)合戦

 永禄七年(一五六四年)正月十六日、三河一向宗の党(集団)と針崎にて終日、小規模な戦闘があった。

 家康側の中根喜蔵が名乗って、一番槍を合わせた。

 三河一向一揆側は渡辺半之丞という者が相手になり、槍を捨てて刀を抜いて飛び込んできた。

 中根喜蔵も刀を抜いて戦い、互いに負傷して、ともに退いた所へ、鵜殿十郎三郎が渡辺半之丞をめがけ追いかけた。

 そこへ渡辺半之丞の父、源五左衛門が助けに来て、鵜殿十郎三郎を突き伏せた。

 これを見た家康は自ら槍を下げ、渡辺源五左衛門と槍を組み、相手を突き伏せた。

 しかし源五左衛門は軽傷だった。家康が引き退こうとするのを見て、その源五左衛門は石川十郎左衛門と競うように家康へ攻めかかってきた。

 そこで家康側の内藤甚市(じんいち)は弓を握り直し、源五左衛門の股を射貫いた。

 渡辺半之丞は父を担いで引き退いた。

 それからは、家康と三河一向一揆の戦いは勝敗がつかず、ものわかれに終わった。

 内藤甚市は渡辺源五左衛門の甥なのだが、家康の危機だったので、射倒したということだ。




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常山紀談、040