〜戦国武将エピソード集〜

真田昌幸が北条勢を欺く

 真田安房(あわ=千葉県南部)守昌幸はわずか二千余騎をもって、北条の大軍と屋布に対陣したのである。

 北条古衛門はこれをみて大いに笑い、「甲府勢は大軍をもって立ち向かうべき相手に、わずかの小勢で向かってくるとは、浅はかである。一蒐(ひとかけ、蒐は「春の狩猟」という意味)に攻め破れ」と早々に用意を行った。

 そのため松田尾張守は大いに制し、「小敵だからといって侮(あなど)ることは、兵道の戒めるところである。敵の挙動をうかがい、機に乗じて攻めかかるべき」と引き留めていた。

 真田昌幸は別府若狭、伊勢崎十郎、石田郡次などに命じて、この夜、陣中にたいまつを三百ばかりともし、あちこちを徘徊させた。

 北条勢がこれをみて「それ、夜討ちを掛けてくるみたいだ。油断するな」と用心している所へ、陣中に近づくこと二町(=約二百二十メートル)ほどの距離で、たいまつが同時に消えたので、あたりはたちまちのうちに闇夜となり、ものの形や区別も判断できなくなった。

 北条勢が「今に押し寄せてくるぞ」と、待てども待てども何の沙汰もなく、そのまま夜は明けてしまった。

 あまりにいぶかしく思い、夜前(=前日の夜)にたいまつが消えた辺りへ人を出して調べてみるのだが、何の跡形もない。不審ながらも、それで調査が終わった。

 それなのに、その翌夜、またまた、たいまつ五百ばかりをともしながら押し寄せてくる真田の勢いに、北条勢は「今宵こそ攻めて来るぞ」と急ぎ用意をする。そんな北条勢へ、真田勢はひしひしと間近まで攻めてくるかと思えば、またも一度に(たいまつは)消え失せた。

 このような真田の行動が五、六日に及んだので、北条勢は大いに心気疲れをし、昼夜、寝ることができず、心身ぼんやりとしていた。

 第八日目の夜は、たいまつもみえなかったので、「さては今宵は来ないようだ。(甲冑の)帯ひもをといて眠るぞ」と前後も知らず(=正体がないさま)体を横にして寝たのである。

 真田の斥候(=敵軍の動静や地形をひそかに探る兵)がこの様子をうかがいすまし、そのような敵の様子を告げてきたので、真田昌幸は大いに喜んだ。

「敵は、私のはかりごとに乗ってきたぞ。今宵こそ北条勢を破るぞ」と、まず一方へは長根肥後守の千騎あまり、もう一方へは真田昌幸の千騎あまりで、山手を廻り、左右二手に分かれて押し寄せたのである。

 北条勢は思いもよらぬ不意を襲われ、鯨波の声(ときのこえ)を聞くよりも慌てふためいて、「太刀よ兵具よ」と言うや否や、鎧を着けてもかぶとを着けず、繋いでいる馬にそのまま飛び乗ってむち打つ者もいて、上を下へと騒ぐところへ、真田勢は鉄砲を撃ちかけ撃ちかけ、無二無三に攻め立てたので、北条勢は一支えもできず、我先にと逃げ出した。

 大将、北条氏康と北条氏忠は大いに驚き、「今戦っても益がない。退けや者ども」と言うほどであった。主人が討たれても郎党はこれを顧みず、親が生け捕りにされても子供はこれを救わない。我先にと敗走したので、馬にふまれ人に押されて死ぬ者や、山際に押し詰められ、人手に掛けられるよりかは自害する者もいて、手負い討ち死にした兵は数を知り得ないほどにたくさんいた。

 そういうわけで、北条勢は散々になって小田原まで弾き退いた。

 それなのに真田方は一人も損なうことはなかった。敵が捨てた武具、馬具、旗、幕、指物に至まで、ことごとく皆取り納め、甲府を指して悠々と凱旋したのである。

 
目次

常山紀談、045-1

常山紀談、045-2

常山紀談、045-3