三好家が滅んだとき、料理や包丁さばきの名人として名高い坪内なんとかという者が生け捕りになった。彼は※放し囚人(めしうど)になっていたのだが、数年経って、菅谷九右衛門の賄い係として仕えたいと申し出た。
市原五右衛門が「坪内は鶴・鯉料理は言うに及ばず、七、五、三の饗膳の儀式もよく知る男です。そのうえ坪内の子供二人は既に当家に奉公しております。坪内を赦して厨房を担当させましょう」と言うのを信長が聞いて、「明朝、その男に料理をさせよ。召し抱えるかどうかは、その料理の出来による」ということになった。
そういうわけで、坪内が料理をして、信長は出された膳に口をつけた。
だが信長は「水っぽくてとても食べられたものではない。そいつを殺せ」と怒った。
坪内は「かしこまりまして、承知いたしました。しかしもう一度私に料理を作らせて下さい。その料理もお口に合いませんでしたら、この腹を切りましょう」と言った。
信長はその申し出を聞き入れた。
そうしてその翌日に坪内は膳を出したのだが、味が予想外によかったので、信長は喜んで禄を与えた。
坪内は、もったいなく感謝に堪えないと礼を述べ、「ところで昨日の料理は三好家風の味加減でした。しかし今朝のは下品な三流料理の味付けです。三好家は長輝から五代続いて将軍家のお世話をし、日本国の政治を取り計らってきたので、何事にも品があります。今朝の風味は下品で卑しい田舎風の味付けでしたので、お口にお合いになったのです」と言ったので、これを聞く人は「信長に恥辱を与えた坪内の言葉だ」と言い合った。
※放し囚人=中世、刑具を用いず、一定の所に拘置しておくこと。また、その刑に処せられた囚人(広辞苑)。