永禄十二年(一五六九年)、尾張(現在の愛知県西部)の清洲で、徳川家康は織田信長に初めて対面した。
その時、他の刀を持った侍たちは式台(表座敷と玄関などとの間に設け、客に対して送迎の挨拶をする部屋=広辞苑)で止められたが、植村庄左衛門家政は徳川家康の刀を持って通ろうとした。
織田家の者が、植村家政を押しとどめようとすると、植村家政は「徳川家の侍に、誰が命令して止めようとするのか」と言い捨てて、むりやり通りぬけ、信長たちが前にいる白洲(邸宅の玄関前または庭などの、白い砂の敷いてある所。玄関先。庭先=広辞苑)まで入った。
信長がこれを見て「何者だ」と問うと、徳川家康が「当家の侍です」と答えた。
信長は「植村は名高い勇士だ。今日の会合は大げさなものではない。気楽にしなさい。あっぱれ、家康殿にはよき侍がたくさんいますな」と感心した。
庄左衛門は後に、出羽(現在の山形・秋田両県)守と称した。