〜戦国武将エピソード集〜

芦田信蕃が二俣城を退く

 武田勝頼が長篠の戦いで敗北した後、芦田(あしだ)常陸(ひたち=現在の茨城県)介(信蕃のぶしげ)が二俣城を守った。

 三河(=愛知県東部)の軍が(一五七五年)五月下旬から二俣城に攻めてきた。

 (二俣城に対し)南方の山に徳川家康が陣をすえ、

 南東――鳥羽山

 東――安倉口(あぐらぐち)の山

 北――三十原口(みそはらぐち)の山

 西――和田島

のそれぞれに向城(むかいじろ=前線基地)を構えた。

 しかし芦田信蕃は二俣城を堅く守って、そのまま十一月になった。

 武田勝頼からは再三、「城を渡して甲州(=山梨県)に退却せよ」と命じられたが聞き入れなかった。

 武田勝頼が自筆の書をもって命じたので、十二月下旬に人質を出し、二十三日に城を渡そうと約束したのだが、当日に雨が降ったので「蓑笠では見苦しいです」と、翌二十六日に空が晴れてから、城を明け渡した。二俣の川辺で人質か交換をして退却した。

 芦田信蕃は小勢で長期間よく城を守り、その上、城を渡す作法が正しかったので、家康にも感心され、最後には徳川家に仕えた。

       

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常山紀談、094