〜戦国武将エピソード集〜

明智光秀が居城を築く〔附〕唐崎の松の話

 明智光秀が江州(=近江、現在の滋賀県)に坂本城を築いた時、三甫という者が詠んだ。

   波間よりかさねあげきや雲の峯

 そして光秀の※脇句

   磯山づたへしげる松村

 また、光秀は丹波亀山から愛宕に続く山に廓(=城・砦など、一定の区域の周囲に築いた土や石のかこい)を構え、この山を周山と名付けた。

 自らを武王(=残虐非道な殷の紂王を倒し、周王朝を開いた)になぞらえ、信長を殷の紂王にたとえた明智光秀の心の内が、後で明らかになった、と人は言った。

 また志賀唐崎の松がいつの頃か枯れていたのを、光秀が継植(=植え直し)したのが、今の松である。

 光秀が詠んだ歌、

 われならで誰かはうゑむひとつ松

     こころしてふけ志賀の浦かぜ

 (教養ある)私でなくて誰が植えることだろう、この名勝の一本松を。(枯らさないように)気をつけて吹け、琵琶湖の浦風よ

一説に青蓮院宮尊朝法親王の「辛崎の松の記」をみれば、大津城城主新庄駿河守直頼の舎弟である松庵(東玉)雑斎(直寿)が、天正十九年(=一五九一年)卯の秋に植えたとある。

その時の歌に、「おのづから千代も経ぬべし辛崎のまつにひかるゝみそぎなりせば」

ということは今の松は、この新庄直頼が植えたものであろうか。

※脇句

 連歌・俳諧の付け合いで、発句(ほっく)に付ける第二句目の七・七の句。発句が客人の句であるのに対して、脇句は亭主の句であり、発句の意をくんで付けるものとされる。原則的には発句と同季とし、韻文(=名詞・助詞ヤ助動詞ノ言イ切リノ形)で留める。〔古典文学辞典〕

※唐崎の松

 歌の名所。万葉集で柿本人麿呂が唐崎を詠んだのをはじめ、古今集や新古今集などにも詠まれている。

 のちの松尾芭蕉も「辛崎の松は花より朧にて」と俳句に詠んでいる。(辛崎=唐崎)

※志賀(=滋賀、琵琶湖南西岸一帯の古称)

目次

常山紀談、129