豊臣秀吉は備中(岡山県西半部)に陣を敷いて、毛利と和平を結ぼうと計画した。
ひそかにあれこれと手段を用いて、西国の米を高い値段で買ったので、城の兵糧米を持ち出して売る者が多かった。
ただ一人、小早川隆景が、かたく禁止して売らせなかった。
信長が殺されて、秀吉と毛利家は断絶状態になるはずだったが、毛利家は兵糧が十分ではなかったため、とうとう和平に及んだのである。