秀吉は島津を討とうと思うこと、長年であった。
秀吉は、天正十三年(=一五八五年)に仙石権兵衛秀久を商人に装わせて、九州へ間者(=ひそかに敵側の情勢をさぐって味方に通報する者)として送った。
山々浦々の地理をことごとく絵に描いて寝ても覚めても絶えず見て、兵を分配し攻め入るべき道々を考えていた。