天正元年(一五七三年)、織田信長は将軍足利義昭が立てこもる宇治(=京都宇治市)の槇島城を攻めた。
ちょうどその時に雨が降って、宇治川(=淀川)が増水していた。
織田信長は馬を水際に止めて、「その昔、宇治川の先陣を争った梶原景季や佐々木高綱も,
いくらなんでも(この状態の宇治川を渡るほどの)鬼神ではあるまい」と言った。
そのところへ、武者一騎が川に飛び込んだ。
それを見て、「その武者は梶川弥三郎高盛だろう。梶川を討たせるな。皆の者、川を渡れ」と命令した。
織田軍は我先に宇治川に飛び込んで、川を渡った。
実はこの戦いの前に織田信長は黒の馬を梶川に与えていた。
その時、信長は「梶川は、度重なるいくさに、いつも真っ先にかけようという志のある者である」とあざ笑って言ったが、はたしてその言葉は間違っていなかった。
※宇治川の先陣=一一八四年(寿永三年)木曾義仲が源義経を防いだ宇治川の合戦で、義経勢の佐々木高綱・梶原景季がそれぞれ源頼朝から与えられた名馬生いけずき・磨墨(するすみ)に乗って先陣を争ったこと。広辞苑