〜戦国武将エピソード集〜

板垣信方が饗応(酒席)で、招待客への対応を、その軍功によってあからさまに差別したこと

 武田信玄は豪傑で、信玄の所領である甲府の近辺では、彼にかなう者がおらず、いくさをすれば負けることはなかった。

 天文十五年(一五四六年)は特に数多くの合戦があったのだが、武田信玄の甲府勢はいつも勝利したので、一同の者は心が奮いたって仕方がなかった。

 とりわけ板垣駿河守信方(のぶかた)は強くて勇ましい大将だったので、さらに甲府勢を励まそうと思った。そこで広大な仮小屋を建てて、「きたる十月六日、一席設けるので、諸将を招待したい」と広く知らせたので、諸将、諸兵士たちが我も我もと参加したのである。

 板垣信方はホスト役として衣服を改めて現れた。そして礼が終わっが後、「このたびおのおの方を招待したのは、除の議(官職を入れかえる相談)ではありません。数々の合戦で手柄を立てられた方々を饗応(酒、食事などをふるまってもてなすこと)したいと、皆さんを招待したのです。ということで、今日は普段のしきたりとは関係なく、陪臣(家臣の家臣)であっても手柄があった人には高座を与え、その優劣をはっきりと示したいと思います。皆さん、これを恥辱とは受け取らず、たくさんの手柄をあげてやろうと思ってください」と言った。

 そして(食事や酒が配られるよりも、)真っ先に各人が座る場所が改められた。

 原虎胤(とらたね)、飯富(おぶ)虎昌(とらまさ)、小畠(おばた)虎盛(とらもり)をはじめとする、数多くの軍功があった人々は皆、上座に据えられた。

 逆に、武田信玄の弟である武田孫六信連(のぶつら)、今福善九郎、跡部(あとべ)大炊之介、長坂左衛門をはじめとする軍功のない人々は、家柄がよかろうと身分が高かろうと、真田家郎党(真田の家来)である相木森之助や筧十兵衛などの下座に座らされたので、軍功のない人々は非常に面目を失ってしまった。

 いくさの手柄によって区別させられたのは席だけではなかった。その後、出された本膳料理のランクも軍功のレベルによって三段階に分けられた。上のランクは朱椀で三の膳まで出され、中のランクは朱椀で二膳まで、下のランクは黒椀で本膳だけである。上、中のランクで膳にのせて出された料理は、魚や鳥を用いて豪華なものであったのに、下のランクはすべて粗末な精進料理が出てきたので、武田、跡部、今福、長坂をはじめとして軍功のない人たちは恥ずかしさに赤面して、非常に不機嫌なように見えた。

 すぐに板垣信方が席上に出て説明した。

「今日の饗応は僻事(ひがごと=道理や事実とちがった事柄。不都合な事。心得ちがいの事。まちがった事【広辞苑】)のようにみえるが、けっしてそうではない。数多くの合戦で一度も敵の首を取っていない方々は、慈悲深く後生(こうせい=あとから生まれた者。後輩。後進【学研古語辞典】)を大切に思っているため、それゆえ、殺生を好まないのだと思われます。そのような人々は日頃、五戒(仏教で在家の守るべき五種の禁戒。不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒)を守って精進しているのでしょう。そのようなお方に、この信方、魚や鳥肉を出してその戒めを破らせるのは本意でなく、そのためこのような精進料理を出すように手配しました」

 板垣信方の説明が終わると、軍功のある者は一層、興を催し、賑やかになったのだが、軍功のない人はいよいよ面目を失い、こそこそと退出し、本当にきわめて珍しい饗応だなあと笑いの種になったのである。

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常山紀談、022-1

常山紀談、022-2