〜戦国武将エピソード集〜

附 上京のこと

 上杉謙信が相州(=相模、現在の神奈川県)に攻め入るとき、京都御所より近衛(このえ)関白前久(まえひさ)が遣わされ、この時より謙信の関東管領職ははじまったともいう。

 また鶴岡八幡宮に参詣し、そこで関東管領職に任じられたともいわれる。

 関白、近衛前久の下向(=げこう、都から地方へ下ること)があったので、将軍足利義輝からは大和(やまと)兵部少輔が遣わされたともいわれる。いづれが正しいのかは分からない。

 また上杉謙信が上京した時、三千ばかりの人数で越後(現在の新潟県)を出発したという。将軍足利義輝に謁見した後は、京都、堺、吉住などの名所をあちこちと遊覧した。

 上杉謙信は国に戻る時、将軍義輝に「三好、松永らに謀反の兆しがあります。御書(命令書)を頂きましたなら、京に馳せ上り彼らを成敗いたしましょう」といった内容をひそかに告げた。

 三好や松永もこれを察したのか、深く恐れた。それからまもない永禄七年(一五六四年)に三好長慶が河内(大阪府東部)の若江で病死した。しかし松永はこれを隠して翌年の春になって将軍義輝も三好長慶の死を耳にして、越後へ御書を出した。松永にこのことが洩れ伝わったのか、急いで将軍義輝を殺害したという。

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常山紀談、034-2