〜戦国武将エピソード集〜

家康、三河一向一揆と厚木坂で戦う

 永禄六年(=西暦一五六三年)十一月十五日、三河一向一揆と厚木坂にて戦闘があった時、一揆勢から蜂屋貞次(=通称、半之丞)と渡辺源蔵が真っ先に進み、味方からは上村庄右衛門と黒田半平が出て槍を合わせた。

 しかし(一揆勢の)渡辺源蔵が(家康勢の)黒田半平を突き倒したので、味方は競って攻めかかり追い立てた。そのため蜂屋貞次と渡辺源蔵は引き退いた。

 そしてふたりが細なわて(=田のあいだの細道、あぜ道、まっすぐな長い道)まで退いたのを、水野忠重が「蜂屋、絶対逃すものか」と言葉をかけた。

 蜂屋貞次は足を止めてニコッと笑い、「水野忠重がどうして、われらにかなおうか。どれ戦ってやるぞ」と言った。蜂屋は槍を地に突き立てて、手に唾を吐きかけ、「さあ、かかって来い」と言う。

 しかし水野忠重は足を止めて近づくことはできなかった。

 蜂屋貞次は「それみたことか」と、再び、落ち着き払って引き退いた。

 蜂屋貞次の槍は三間(一間=六尺=約一・八メートル)柄の中を少し太くして、長吉(=室町後期の刀工)が鍛えた刃なので、優れて物を貫くことができたという。

 家康が馬で駆けて来て、「蜂屋め、引き返してこい」と言葉をかけると、蜂屋は後ろも見ずに逃げた。

 松平金助が「取り逃がすものか」と追い詰めると、蜂屋は足を止めた。

「殿だから逃げただけだ(一向一揆側についたとはいえ、家康への忠誠心もあって、殿に槍を向けるわけにはいかない)。御身(=そなた)相手に逃げるものか」と言って引き返し、松平金助を五、六度も突いた。そして松平金助が退いたところを、蜂屋貞次は槍を投げて突いて、松平金助を突き倒した。

 そこへ家康が「蜂屋め」と、再び、馬で追いついてきたので、蜂屋貞次は、まわれ右して、逃げ去ったということだ。

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常山紀談、039-1