佐々木と三好がいくさを起こした。
佐々木は糺(=ただす、京都市左京区の賀茂川と高野川の合流域にあった地名、下鴨神社)に陣を敷き、三好は赤山(=せきざん、京都市左京区、赤山禅院)にいた。
三好は佐々木に使いを送って、「我が方には中村新兵衛という剛の者がいる。佐々木方にも我こそはと思う人がいるのなら出されよ。誰にも邪魔されることなく戦わせてやろう」
佐々木方からは、江州(=ごうしゅう、近江国 の別称、現在の滋賀県)にその名を知られた永原安芸(現在の広島県の西部)守という者を選出した。
ふたりは修覚寺村石地蔵の前で出会って、永原は直槍で中村新兵衛は十文字の槍で互いに容赦なく激しく戦ったが、最後は中村新兵衛が永原を突き伏せて、首を取った。
中村新兵衛は近江国の人だった。一日に敵と槍を合わせたこと十七回を数え、首四十一級を取ったことがあることから、世に『槍中村』と称された。
永原を討ち取った時、室町将軍霊陽院殿義昭(=足利義昭)は江州矢島(現在の滋賀県守山市矢島町)でこの話を聞き、感状に朱塗りの武具や朱色の柄の槍を添えて与えたという。
一説には中村新兵衛は、摂州(摂津国の別称、現在の大阪府北中部と兵庫県南東部)の半分を領有していた松山新介の家臣で、唐冠金纓の兜を着ていたという。