〜戦国武将エピソード集〜

北条綱成が「地黄八幡」の旗を捨てたこと

 相模(今の神奈川県)における深沢の戦いにおいて、北条家先陣の大将である北条綱成が敗北して捨てた旗を、勝利した武田軍の兵が拾い、悪しざまに言ってけなした。

 それを聞いた信玄は言った。

「ただ助かりたい一心で逃げ走って、見苦しくも卑怯に、旗を捨てたのではない。きっと北条綱成は地の利を測って、この場所は敵側にとって追撃しやすい地形であると、用心していたのだろう。それに旗を捨てたのは旗指し物を背負った者の罪である。どうして北条綱成をあざけり笑うことができるだろうか」

 それから信玄は、真田一徳斎(=真田幸隆)の末子である源次郎に「北条綱成の武勇にあやかれ」と、その旗を与えた。

 北条綱成(=北条氏の「北条五色備え」では、「黄備え」を担当)の旗は、朽葉色(=黄色)に染めた絹、三幅(並幅の布を三枚縫い合せた幅)に『八幡』の二文字を墨書きしたもので、世に『地黄八幡』と称えられた。

 北条綱成はこの話を伝え聞いて、「信玄の言葉で我が恥辱をすすぐことができた」と喜んだ。

 これには信玄の深い計略があったからこそ、こう言ったのである。その頃、北条綱成はすぐれた勇将だった。その彼があざけり笑われたと聞いて、死を覚悟して反撃してきたら、その攻撃はとても耐えられそうにない。そう判断した信玄が、北条綱成の憤りを晴らそうとしたためなのだ。

目次

常山紀談、053