徳川家康が織田信長に対面したとき、松永弾正久秀がそばにいた。
信長が、「この老翁(=おじ、年とった男を親しんで呼ぶ語)は世の人がなしがたいことを三つもした者である。将軍を弑虐し(=自分の主君を殺すこと)、また自分の主君である三好を殺し、奈良の大仏殿を焼いた松永という者である」と言ったので、松永久秀は汗を流して赤面した。
家康がのちに重臣らを呼んで語り合ったとき、このことを話した。
家康は、「先年、信長が金ヶ崎を引き退いた時、所々で一揆が起こって危うかった折に、朽木は浅井の味方だと疑って、進退きわまった。松永は信長に『私が朽木の所へ行って、味方につけてきましょう。朽木が浅井の味方をしているのならば、人質を取り、それを連れて信長様をお迎えしましょう。もし私が帰らなかったら、そのどれもがうまくいかず朽木と刺し違えて死んだと思って下さい』と告げて、朽木の館に向かって、無事に人質を出させて、それで信長は朽木谷を通って、引き返されたのだ」と言ったということだ。