〜戦国武将エピソード集〜

武田信廉、誅殺される

 天正十年(=一五八二年)三月、武田逍遙軒信綱(=武田信廉)が降参した。織田信忠は、森武蔵守長可(ながよし)に命令して殺させた。

 森長可は各務(かがみ)兵庫元正を使者とし、武前(たけさき)采女(うねめ)を添えた。

 武田信廉は刀を膝下(しっか=膝元)において放さなかった。

 各務元正と武前采女は武田信廉の所へいって「森長可が愛する馬がいます。気晴らしにご覧になりませんか」と言った。そして武田信廉が庭に出るところを、各務元正は二尺六寸(=約八十センチ)ある雲次(くもつぐ)の刀で一太刀に斬った。そして武田信廉が小脇差し(=武士が腰に差した大小二刀のうち、小刀)を抜くところを、武前采女が続いて切り伏せた。

 小姓の河野という者が武田信廉の刀を持っていたが、すぐに抜いて武前采女を切る。しかし各務と武前の両武士は、最後には河野をも打ち止め(=戦って殺す【広辞苑】)た。

 各務元正が槍を合わせて首を取ること、二十一回。この年の高遠城の城攻めの時にも、狭間(さま=城壁・櫓などに設けて、外をうかがい、また、矢・石・弾丸を放つための小窓。その用途により、矢狭間・鉄砲狭間などという【広辞苑】)からうかがい見て、群がっている敵の真ん中へ飛び入り倒れたが、起き上がって散々に斬り合い、首を取った。鶏尾の棒の指物(さしもの)をさして周囲を払う有様を織田信忠が見て、「彼は誰だ」と問う。森長可が「わが家の武士、各務元正と申す者です」と言うと、織田信忠は「誠に今日いちばんの見物である」と言ったという。

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常山紀談、121