辻(つじ)弥兵衛盛昌(もりまさ)は天正三年(一五七五年)、主君である武田勝頼に勘当され、七月に甲州(甲斐国の別称、山梨県)を出て信州(信濃国の別称、長野県)は小諸(こもろ)の与良(よら)遠江のもとに身を隠していた。
しかし勝頼が死んで武田家が滅びた後は、徳川家に仕えた。
甲陽軍鑑に勝頼が天目山に落ち延びていくときに、辻一揆の長(おさ)となって攻め立てたように書いているのはあやまりである。